皆さん、こんにちは。
しょうもない話なのですが、僕が子供だった20年以上まえにはなかった光景が広がっています。
リアリティこそないものの「ウンコ」に関する商品やサービスがかなり浸透しています。
「ウンコ」ってひと昔前まで人前で言うことは憚られるし、学校で「ウンコ」をするなんてめちゃめちゃハードルが高いくらい敏感が事象だっとと思うのです。
何故こんなことが起こったのか?本当にしょうもないことだと思うのですが、浅いながらもクソ真面目に考えてみました。
今回の仮説としては『抑圧からの解放』です。
小学生までは親や先生からの抑圧。中高生は繋がり過ぎる時代からくる抑圧。状況は違えど、様々なプレッシャーと欲求がこの状況を新しく作っているのではないかと思いました。
あっちもこっちもウンコ
自分の時代ではDr.スランプアラレちゃんがウンコを棒で刺して遊んでいた描写くらいだったと思います。
でも、小さなお子さんを持った経験のある親御さんなら共感いただけると思いますが、ガチャガチャでも「ウンコ」、クレーンゲームの景品も「ウンコ」、フィギュアにも「ウンコ」。
学生までを中心にですが、幅広い層への「ウンコ」商品が堂々と置かれてます。
ウンコ漢字ドリルの秘話から考察
「ウンコ漢字ドリル」は2017年に発売。当時の小学生の人数が650万人。1%の人が買って6万部くればOKと思っていたら、今ではシリーズ累計400万部を超えるベストセラーです。
詳しくは「ウンコ漢字ドリル」の作者のインタビューが面白く、「なるほど!」と思うフレーズがあります。
子供たちは「ウンコ」「おしっこ」とか下ネタが大好き。でも、なぜ大好きなのか?
子供たちは自分に愛情を注いでほしい、興味を持ってほしいという欲求にとても素直だと僕は思っています。
そんな欲求の対象であるお母さん、お父さん、そして幼稚園・学校の先生などが口を揃えて言うこと。「ウンコなんて汚いから大きな声で言ってはいけません!!」
大衆の面前、食事の場、そんなとこで「ウンコ!」と唱えれば、自分に注目をしてくれる魔法の言葉です。
子供たちは親たちから「ウンコ言うの禁止!」ということの抑圧への反抗と自分に注目して欲しいという欲求の解放の両面から「ウンコ」が大好きなのだと思います。
おしり探偵
「ウンコ漢字ドリル」の影響から定かではありませんが、2018年にNHK教育チャンネルで放送が開始しました。
「おしり探偵」によって下ネタ(ウンコ、おしり、オナラ)をオフィシャルに発言して、親とも一緒に見られる。抑圧からの解放と親との時間も両得できるコンテンツが誕生しました。
ターゲットは未就学児なので、「ウンコ」の浸透はこれで幼稚園児くらいまでは広まったと考えられます。
ウンコマン
一番不思議だったのは、中高生の「ウンコ」が受け入れられ、広がったことでした。
僕の仮説はこうです。
SNSなどで過度に繋がり過ぎてプライバシーが守れない時代になり、あえてプライバシーな部分をコミカルに表現することでタブーを打ち破ろうとしているのではないか?
冒頭でも言ったのですが、僕の学生時代1990年代は携帯が過渡期。まだ常に誰かを気にするなんてことはありませんでした。
唯一素の自分で人にバレたくないことの代表格といえば、あれだけ小さい頃から抑圧されていた「ウンコ」に関することくらいじゃないでしょうか?(言い過ぎ?)
要するに皆のいる学校という公然の場で「ウンコ」をするなんてプライバシーの丸出しで羞恥の塊でした。
話を現代に戻します。
現代はスマホの普及で誰かと繋がり続ける緊張がずっと続いていると考えています。
そこでの「ウンコ」の役割とは?
見せびらかすものではない。自室にフィギュアとして置いておくけど、汚いものをプライベート空間に置いて親に見せつける。
でも、モノ自体はカワイイ(?)のでOKだろうという言い訳ができる。つまりは、身内への小さな反抗もありそうです。
友達に対しては、あえてタブーになりそうな「ウンコ」をインテリアとするギャップがオープンマインドか自己顕示としてあるのではないしょうか?
「ウンコ」というどこかにプライベートで済ませなければならない秘め事(タブー)をオープンにしないとバランスが取れなくなっているのではないか?と考えます。
つまり「ウンコ」という本来は個室で用を足して、誰にも知られたくないことをあえてオープンにすることで自分が守るべきプライバシーのバリアを柔らかくして、自我を保つことを優先していっている。
要するに中高生もやっていることはパターンは違いますが、小学生と同じ抑圧からの解放ではないかと思いました。
まとめ
直接インタビューなどをしたわけではありませんが、自分の周りで起きていることとそれとなく近いユーザーを見聞きした内容からの推察でした。
特にこれ自体は役に立つか分かりませんが、身辺で起こっている流行は偶然ではなく、何かの必然で起こっています。
何か考ええるきっかけになったら嬉しいです。
今日はこのへんで。どうもありがとうございました!
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