昨今の街中・Clubhouse流行から考察したテレビの将来

マーケティング

皆さん、こんにちは。

今回はコロナ禍の状況から見えたテレビのチャンスについてお話したいと思います。

コモディティの進んでいる業界でお仕事をしている方やテレビ・映像関係に興味のある方に読んでいただけたら幸いです。

考えていた背景

今日は梅田(大阪)に出る用事があったのですが、週1回と感覚を空けて定期的に来るようになって気付いた風景ありました。

また、立ち寄った大型電機量販店でのテレビの商品展開や訴求から考察します。

コロナ禍の自粛でなくなったもの

久々の梅田(大阪)に出て、劇団四季や宝塚歌劇団のポスターが通路などからなくなって空っぽになっていることに気が付きました。

このコロナ禍になってから、ライブなど特別な空間に浸る非日常体験というのは目に見えて減りました。むしろ、苦悩しながらライブをするということのストーリー自体がテレビ番組のコーナーとしても扱われるようになりました。

この1年に浸透してきたこと

家にいる機会が増え、YoutubeやNetflixなどの動画コンテンツに触れる機会が増えたひとが多いのではないでしょうか?

さらにVoicyや最近ではClubhouseといった音声媒体の流行の兆しを見せています。

五感をにまつわるマーケティングが激化する中で戦場は『目』から『耳』の取り合いに移行してきているのだと思います。

何故『耳』なのかというと恐らくですが、個人に合わせたコンテンツを選ぶようになった中で、作業しながら『目』は忙しいけど『耳』は空いているという人が顕在化してきたからだと思われます。

ここはこの1年で大きく変わったことなのではないでしょうか。

液晶テレビはインテリアの革命だった、次は何だ?

さて、話をテレビに戻します。

僕が都会の一等地で店を構えた大型家電量販店でも、今もテレビは『キレイさ』と『大きさ』の対決をしていました。

スマートフォンが当たり前になり、デバイスが1人1台以上の時代。自分の好きなコンテンツを視覚的に見るYoutubeなどもより日常に入り込んできました。

次に我々を魅了するものは何でしょうか?そこに画質の良さや大きさは暮らしのプラスになるでしょうか?

僕は、自粛傾向のライブがヒントで、聴覚も含めた空間への没入感がチャンスだと考えています。

理由は先に述べた自分にあった動画コンテンツを各々が見る時代だということ。

そして、今まで当たり前だったライブな体験が出来なくなって、音楽や歌劇の舞台はリアルかつ特別な空間に浸れる体験は娯楽として生活の一部だったのになくなっています。

雑談という当たり前の行為はClubhouseというSNSで好きな話題の輪に参加する時代が来ています。

テレビはテレビの枠を超えなくてはいけない。

家に映像が来るという1次革命(ブラウン管)。

テレビが薄く大画面になるという2次革命(液晶テレビ)。

この2次革命の中の競争をしていても誰の暮らしもアップデートされないのだと考えています。

テレビはテレビの枠を超えて、リアルな体験が難しくなったこの世の中に合わせて、個人の空間没入という視覚と聴覚を両方占領することでそれぞれの世界に飛び込ませる体験を提供するのもアリなのではないでしょうか?

簡単に言うとVRゴーグルと個人用イヤホンの合体ですね。

こんな1人1の没入用テレビ+家族の時間を共有するテレビの2刀流のような世界も近いような気がしています。

特に以前の記事でも、テレビのブランド自体があまりブランド資産を貯めれていなことも考えるとこれからの戦略として別途考えないといけない分野です。

(参考:テレビの未来は危ういか?【超コモディティ化】

実は競争環境が難しくなっていたテレビというハードの媒体の業界も、意外とこういったところからブレイクスルーがあるかもしれないですね。

日本は人口が減るが1人あたまのテレビ台数は増やせるチャンスがあると思います。

こういった取り組みが、今の自動車メーカーで起ころうとしているように、GAFAMやソフトウェアからの会社ではなく、電機メーカーが率先して開拓していくことを期待しています。

今日はこのへんで。どうもありがとうございました!

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